日々雑感

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上野の森美術館 ゴッホ展へ

ゴッホ

上野の森美術館 2019年10月11日〜2020年1月13日

兵庫県立美術館に巡回予定

 

ゴッホの画家としての生い立ちに光をあてる、興味深い内容でした。

今回は自作の写真があまりない代わりに、思ったことを徒然に書いてみます。f:id:stephanetanguero:20191230232559j:image

(写真は、上野の森美術館HPより)

皆さん、ゴッホと聞いて、何をイメージしますか?

多くの人が、あの、個性的な人物画(自画像やタンギー爺さん)、ヒマワリや大きくグネグネ うねった月や太陽なんかをイメージするのではないだろうか。


ここで問うべきことがいくつかある。
 ○なぜ彼はそのような画風の絵を描くに至ったのか?
 ○どのようにしてその個性的な画風は確立されたのか?
 ○そもそも本当にそうだったのか?
本展覧会は、これについて考えるうえで非常に参考になる視点を提供してくれている。

 

彼のキャリアを説明する上で欠かせない出会いが二つある。
オランダのハーグ派と、フランスの印象派だ。
この2流派との出会いと交渉の中でゴッホは自己の作風を徐々に確立させていった。
前者とは画家になる決断をした20代で出会い、写実絵画の基礎を徹底的に学び取ろうとする契機となった。
このころのゴッホは、私もほとんど見たことがなかったのですが、一般的なイメージからは程遠い、写実的な風景画や、あまり動きのないスケッチ的な人物像を繰り返し繰り返し描いている。模倣の時代。


次に彼はパリにて印象派と出会い、色彩表現に鮮烈な刺激を受け、作風を大きく転換していく契機となる。
この頃から彼は、写実絵画からは次第に離れ、そして印象派の主流ともまた違う独特の色彩やタッチの表現を試みていく。

 

その後の彼は、比較的知られているように、南フランスにおいて更に多彩な表現を開花させ、そしてジャポニズムの影響を色濃く受けて理想郷としての日本を取り入れるべく奮闘していく。
(この辺りは本展覧会では殆ど取り上げられておらず、空白に近い)
そして、ゴーギャンとの別れを経て精神を病み、その頃から内面の葛藤や不安が色濃く反映されたような、あのぐにゃぐにゃのタッチの絵を描くようになっていくのである。

 

ゴッホは、彼独特の非常に個性的な描き方で知られているが、決して初めからそのような描きか方ばかりをしていたばかりではなく、当時の写実主義の基本的スキルを徹底的に学ぶために反復演練を繰り返していた。


また、精神の異常を発症してから画風が突如個性的になったわけではなく、印象派との出会いと、実はそれ以前からの試行錯誤にその土壌が準備されていたのである。

 

単純に見えるものには実はそれ以上の背景があり、物語がある。
「AがBしてCになった」「Aはaであり、一方Bはbである」式の直線的因果関係的な叙述は、全く間違いではないにしても、真実の全てを説明してはいないことが殆どである。物事の、特に人間の成り行きの真実は、簡単には語りつくせず、はた目からは一見何がどうしてなぜそうなったか分からないような試行錯誤の中にこそ隠されている。
本当に表現者をアートたらしめるような重要な要因は、そこにあるのである。

 

こうして見てみて書いてみて、自分が芸術鑑賞をして何を感じているか、何を求めているか、それも少しわかってくる。
アートは癒しであると捉えられることがあるかもしれないが、自分にはそれと同じくらい刺激である。
表現者がいかに偉大で、苦難と辛酸に満ち、それでも希望とバイタリティを失わずに奮闘を続けたか。
それに比較していかに自分がチッポケで何もしていない存在か。
それにも関わらず、世界は多様な見方も表現の仕方もできて我々を大きな口を開けて待っていてくれる存在か。
巨人や今生きている方々の闘いの痕跡は、そんなことをたまに(週一くらいのペースで)思い出させてくれるのである。

 

展覧会のキュレーションに的を絞ってみると、まさに上記のハーグ派と印象派の2つの出会いに的を絞った、かなり特徴的な展示だったのかなと。

別に声高にジャポニズムを取り上げて欲しいわけではないけれど、その辺りのことは前述の通り全く触れられておらず、コアなゴッホファンの場合、その方の好みによっては、少し物足りなさも残る、可能性もある。

これはどちらかというとゴッホ全体を取り上げてというより、普段あまり意識されない面に光を当てて、というコンセプトであるのであろう。

逆に、印象派とハーグ派の関連する作品も一定数展示されていて、比較観賞の狙いに重点を置いたキュレーションになっていました。

まぁ、この辺りは好みの問題でもあるかと思いますが。


年の瀬にわざわざ美術館開けてこのような出会いの場を準備してくださったスタッフの皆様に、多謝。

 

これほど酷い文章を書くのも久しぶりですが、それくらいゴッホはよくわからず刺激的な媒体でありました。
今年の鑑賞を締めくくるのにまさにふさわしい、カタルシスな題材であったと思います。

 

来年もまた、たくさんの孤軍奮闘した巨人たちの足跡に触れられることを祈念しつつ、今年は筆を置かせていただきます。