日々雑感

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北斎の動物画について 北斎展@あべのハルカス美術館

自動代替テキストはありません。もう師走も折り返し近く。今期は時間を縫って結構いろいろ観たものの、書く暇なく秋を送ってしまった。

今年は、北斎に出会う回数が各段に多かった。
少なくとも彼をメインテーマもしくはサブにキュレーションしている展覧会に、3回は行ったと思う。

 
それからいつものテレビ番組で何度か。
おまけに娘を連れて行ったTDLで、「北斎」なる回転寿司レストランがあるのにはたまげた。

さて、幾つかの展覧会の中で、最も腰を据えてというか、北斎そのものを見せつけられたのが、この展覧会であったように思う。
もうとうに終わってしまったのだが、あべのハルカス美術館で開催された北斎展「北斎ー富士を超えてー」

彼の作品で有名なのは、やはり一連の富士を描いたユニークな作品群であろう。
しかし、せっかくテーマにもある通り、富士以外の作品を、というわけではないけれど、今回特に惹かれ、訝しんだのは、この2枚(撮影はもちろん禁止なのでオンラインからとっています)

敢えて共通点を抽象的に申すと、擬人化した動物画である。
一体、北斎はこれで何を描きたかったのだろうか。
絵を観ると結構ぼおっとしてしまい、訝しむことはあまりないのだが、こればかりは(というが擬人化された動物画は)コンセプトがよくわからない。

●「狐狸庵」
人間以上に人間臭い狸の、どこか寂し気な居住まい。
自分が人間であって人間でない、動物であって動物でない、存在の虚偽性を薄々気付いているかのごとき、達観に近い雰囲気を醸し出している。

●「雪中虎図」
これもなかなか個性的な絵である。
雪の描写は見事というほかない。まるでテレビカメラのレンズに就いた雪の結晶が解けて乱反射させているかのごとき、光の散逸。
その中を、駆ける虎。なぜか寒さを感じさせず、視線はどこか悪戯で、野生というにはほど遠い知性すら感じさせる。
なぜかこれを見て、中島敦の『山月記』を思い出した。
なぜか、否、かなり安直な連想である。。
ただしこの絵が山月記と違うのは、悲壮感に満ちてはいないということだ。この虎の醸し出すのは、悲壮感、ではなく、しいて言えば、遊び心、か。

なぜ人は、動物を擬人化し、人間性を動物に託すのか。
どちらの絵も、ベクトルは違うものの、人間の心理をまざまざと描いている。
もしかするの人間をより裸にするために、余計な装飾粉飾や隠ぺいをなくさせるために、人間の内面を動物の姿に委託したのかもしれない。
彼にとって、人間の化身は、すでに余計なものが付きすぎていたのだろうか。

これらの絵のモチーフは動物であるが、その主題も引力も、人間心理の描写に端を発している。
彼は世界を「正視」したのではなく、描くために見た、稀有な詩人であったように思う。

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