根津美術館 <対>で見る絵画 展へ
根津美術館 <対>でみる絵画
2020年1月9日(木)~2月11日(火・祝)
根津らしい、落ち着きがありどこか遊び心も覗かせる企画展でした。
見慣れたいつものカットを1枚納め、館内へ。
この回廊は、いつ見ても落ち着きます。
今日は、今年初めての根津美術館でした。
今年最初の展覧会は、こちら。
対になった絵画、屏風や工芸品などの展覧会でした。
絵というと一枚ものが一般的ですが、敢えて対になった作品を集めてみるというのは、興味深い試みですね。
作品の写真は撮れなかったので、イメージがわきにくいのですが、此処に張り付けたフライヤーの作品のようなイメージで、2枚(複数枚)が対になることで、見え方が変わってきたり、意味が変わったりと、興味深い
ちなみにこの作品は、吉野龍田図屏風 という作品。
画題の通り、吉野と龍田という2つの名所に咲く櫻花が対照的な赤と白で対置され、非常に艶やかです。
またそれぞれ主役である花の色は正反対ですが、同色の金色の地面や群青の水面、緑の苔むす地面と青葉、などが違う映え方をしていて、かつ全体として危うい統一感を保っています。
なぜ、絵を対にするのか。
作品を見ていると、幾つかの目的があるように思います。
「対」の分類
- 対比、比較:共通点と相違点
- 物語の進展:一方からもう一歩へ、時間がすすみ、物語が紡がれる
- 分化:一つの場面やストーリーの、
- 強調:中央にあるものを、左右が引き上げる
対にするということには概ね以上のような意味があろうかと思います。
観賞とは、見ている対象の意味を紐解き(解釈)、かつ意味を与える行為でありますから、対にするということは、そこに大きな幅を加えることでもあります。
そもそも、なぜ人はモノを並べるのか
屏風画に限らず、あるものを配列したり、分割したり、というのはよく見かける光景です。なぜ人は、敢えてこういうことをするのでしょうか。
モノを並べるという行為は、ある世界観の発露でもありましょう。
既に述べたように、対にされた絵は、それによって新たな意味を与えられ、単体では為し得なかった美をまとうのです。
単体では完成しない不完全な世界、単一では全てを網羅することが出来ない視点、それらを認めることが、対という描写を行うインセンティブではないでしょうか。
普段は撮らない角度から
今日は夕方の駆け込みであり、あいにくお庭の写真を撮り逃しました。
代わりに、いつもとは違う一枚を。
まだまだ冷え込みますが、春もすぐそこ。
杜若が恋しい季節になってきました。
春を待ちつつ、も暫らく芸術鑑賞を楽しんでいきましょう!