日々雑感

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修理仏師の話

少し前だが、とある仏像展のギャラリートークで、件の仏像たちの修復した修理仏師の講演を聴く機会があった。下手な作品解説の何十倍も感動する内容だった。
 
そもそも修理仏師という概念がなかったが、読んで字の如く仏像(や寺社仏閣)の修理を専門に手がける職人、とのこと。考えてみれば絵画にも修復が要る。専門の絵師がいるのかは知らないが。仏像にも専門の修理士がいてしかるべきであろうが、これまで意識したことがなかった。

 彼の話から、幾つか印象に残った事項を紹介する。

 
・修復跡を残す
後世の人たちが、たとえ記録が失われても、どこがどう修復されたのか分かるよう、敢えて修復跡を残すのだそうだ。
素人が見ても分からず、かつプロの眼には留まるように。
言われてみると、展示されている仏像には修復部位を微かに示唆する濃淡があった。
ただ綺麗であれば良い、という俗物的感覚を超えた、物への愛着というか尊重だろう。
 
・敢えて修復しない
指やなんかの一部分の欠損など、議論の末、敢えて修復しない、場合もあるそう。
これは理由がよく分からなかったが、上と同じような感覚なのか、或いは全体のバランスを考えてのことなのか。
とにかくただ元通りにすれば良いのではない、ということで、修復をずっと行っているが故に身につく感覚なのか。
何と無くミロのヴィーナス像を思い出した。彼女は、腕があったらあそこまで有名にはならなかったろう。
 
・削り跡
仏像彫刻の歴史は、道具の遍歴でもある。
故に、彼らは全体のデザインとか以前に、削り跡を一瞥しただけで年代が分かる、らしい。当然と云えば当然の話か。
しかし、何をしているか/いないかによって、ものの見え方は全く変わってくる。それがプロというものであろう。
自分はそういう風に見えているものはあっただろうか。
 
・1000年
一度手掛けたら、とりあえず千年は持つように修復する、らしい。これは仏像か、或いは建物の基盤の話だが失念してしまったが、確か両方だった気がする。
気の遠くなる時間の尺度だ。
(ちなみに1つの仕事に数十年をかけることもある、そう)
 
・師匠の口癖
講師の仏師が若い頃、親父に口うるさく言われたこと。
「彫刻家は要らない。彫刻をしたい奴は出ていけ」(趣旨)
我を出しすぎると良い修復が出来ない。過去の芸術家や作品、それが過ごしてきた時に対して謙虚になる、そういう1つの心構えということか。
確かに、自分が彫刻家になりたい!と内心ウジウジ考えてたら、人の作品の修復を何十年も続けられないし、上に書いたような発想は出てこないだろう。
(仏師自身、若い頃は彫刻家の息子に生まれ、若い頃は非常に優秀な腕前で彫刻家を志していたとのこと。)
 
 あるスローガンや規範とそのエートスに乖離がある、というとは、考えてみるとよくある気がする。良くも悪くも。アートに対し禁欲的・自制的な姿勢を貫いてこそ、本当のアートを体現しているな、と強く感じた。
これぞプロであろう。 わが身には程遠い事この上ない…