日々雑感

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鉄器 茶器の事など

お世話になった社中が、年一回の送別会をしたとのこと。
本州を縦断してまでは流石に行けないが、かといって何もせぬのも寂しいので、立ち寄り先にて一服してみる。...
 
 外で飲むと、大概がだいぶ薄い。

 


外国の方も多いエリアゆえ呑み易くしているのかもしれないが、一応お濃茶まで嗜んだ身としては何とも物足りず…
しかも夏日和なのに気を遣ったのか、若干温め(笑)
やはり、茶器を揃えるしかないかなぁ。
薄かろうが温かろうがダマがあろうが、自分で点てたものならまだ収まりもつくというもの。
 
 などと思いつつ帰り道、茶器屋に立ち寄り、ぼぉっと品々を眺めていると、店のオーナー婦人が気さくに話しかけてきてくれた。
何をお探しなどと聞くものだから、流石に釜までは家に置くわけにもいかず…などとやや社交辞令ぶって呟いてみると、それならと、店の奥から小さめの、といっても一度に四、五人分は沸かせるであろうちょうど良い大きさの、純鉄器の釜を取り出して来た。
 
 この大きさと品質に於いては、破格の安さらしい。(それでも小遣い数ヶ月分はした…)
おまけによく見ると、あの竹林の七賢がちょうど縁を一周するように象ってあり、なかなか気品のある代物だった。
婦人は、その柔和な物腰と言葉遣いとは裏腹に、私のように生半可な知識の客に日々フラストレーションを溜めているとみえ、かなり詳しく鉄釜の良し悪しの説明をしてくれた。
身体にいいから、是非毎日点てて!と最後に念を押される(笑)
 
 確かに、身体に良いことは間違いない。 茶を嗜むのは、身心に効くのだ。
 
 マインド云々とか最近ちょっと思いついたかのように流行りだしているが、何のことはない。我等が先達たちは、損得どころか明日の命をも知れぬ戦乱の世を心鎮めて生き抜く術を、とうの昔に築き上げて来た。しかも極めて高い文化水準のもとに。
 
 過去を勝手に忘却する我々は、忘れたくても忘れようのない叡智にはそれはたいそうな名前をつけて、ちょっとした科学的証明で着飾って、さも自分が思いついたかのような振りをする。
 
 それはそうと、どうして湯を焚くべきか…今年の冬までには何とかしよう。。