日々雑感

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ブックレビュー 『大戦略論』

大戦略論

ルイス・ギャディス 

早川書房

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冷戦史の専門家である著者が、同じく有名な歴史家であるポールケネディらとともにイエール大学で担当する講座「大戦略」を要約しつつ1冊の本にまとめたもの。

 

○要 旨
大戦略を定義しつつ、歴史上の政戦略上の重要人物(軍人、政治家、思想家)と彼らを取り巻く大事件を取り上げ、戦略的な決断に直面する人間の戦略思想の在り方と良否を問う。・主 題
 大戦略とは何か、また戦略的に考え行動するとはどういうことか?
 どのような思考様式と行動様式を備えた人間が、戦略的な失敗を犯すことなく正しい判断、決断を下すことができるか?
・主 張
 「狐とハリネズミ」の寓話にあるように、思考や行動の様式には2つのタイプがある。
 この両者をうまく組み合わせて柔軟に思考し、また複雑な状況をありのままに把握した者が、正しい判断をし得る。
 大戦略の遂行に最も必要なのは、柔軟性と自省(自制)である。

 

○戦略の定義
 無限の目的(必要性・願望)と有限の能力(可能性・資源)を結びつけること

 

○記述の特徴
 歴史的、人文主義的観点からの記述に終始している。紹介する事例も歴史的人物と事例であり、まさに歴史を紐解きながら様々な視点から戦略と人間について考察を巡らせる。
 一方著者は、理論抽出のための歴史の過度の単純化や濫用には、鋭い批判を加えている。社会科学と歴史学の手法を比較しともに比較した上で、そのどちらかを優れていると主張するわけではなく、両者を組み合わせることが必要と主張している。
 本書は科学論や研究手法に関する著書ではないので、研究者に対するスタンスというよりはあくまで実務家、実践家を意識した言葉ととることもできる。同時に現代の戦略論、戦略研究の手法の過度の「科学」化と安易な処方箋的活用への懸念の表明としても読むべきではないだろうか。

 

○考 察
 この本は、我が国に対しても多くの示唆を有している。
 まず、この本で取り上げられる題材の多くは「戦史」に紹介されるアテネ、中世〜近世欧州など、古今東西の国家の栄枯盛衰とパワープレーである。米中という大国に挟まれされにますます国力を増す中国と対面する日本にとって、本書の問題認識はまさに当事者的なものであるといえるであろう。
 また著者は多くの歴史的判断を鋭く批判するが、その共通点は「狐とハリネズミ」の寓話における「ハリネズミ」的な思考と行動、すなわち過度に演繹的で大前提を有する一直線的な思考に陥ってしまうことである。それは狐と異なり、多くの相反する視点から現状を幅広く見るようなとらえ方をできていない、という状態でもある。
 現代日本では特に経営学の分野を中心に多くの「戦略論」が登場し、経営者や組織のリーダーに対し行動の指針を提供しようとしている。しかしそれらは合理的になりすぎていないだろうか。科学の理論は因果関係の説明と再現可能性を重視するので、事象から重要な要素を抽出しかつ不必要な些末は時には考慮の対処から外される。また、具体的な行動を案出するために用いられるビジネスツールは、事象の説明や行動のデザインを、まさに再現容易なようにモデル化・図式化することが多い。まさに、MBA的なツールである。
 しかしこれら「単純明快」で「抽象的」な思考は混とんとした複雑な世界への視座と表裏一体でなければならない。本来前者は、後者から生まれたのであり、後者を恐れずむしろ愛し果敢に挑む知的格闘から生まれたものであろう(これを生み出した偉大な先達たちではなく、それを受けつぐ後進の課題なのだが)。本件とは関係ないけど、最近のノーベル賞受賞者の言葉を思い出す。
 また並み居る古典を解読しつつ戦略論のエッセンスを抽出し、読者の前に展開してくれる記述体系も魅力的。古典を読解する参考としても手元に置きたい1冊である。