東郷青児展 あべのハルカス美術館
これまであまり好きではなかった、東郷青児展を見た。
その日に、大阪市立美術館で日展を見たので、日展の帰りに二科展を見るという、やや皮肉交じりの遍歴になった。
行ってみて実に良かったと思った。
女性の観察を通じて彼の世界観と表現の旅を見ているようであった。
単にポップなタッチの絵画、という印象であったが、その認識も改めねばならないと思った。
●初期の絵画は、印象派的であり、少なくとも後期、晩年のシュールレアリスムな画風とは似ても似つかない。
技巧的で、気質の絵かき職人、といった趣。
●「パリの女」
官能的な作品
赤らんだ頬に、何かいたずらな感情を思わせるような覗き見るような目つき
一体画家とどんな関係にあるのか、と思わず問いたくなるような雰囲気
セザンヌを意識しているのか。
●中期になると、女性像の抽象度が増してく
この時期は、抽象的な女性像と、人間臭さがまじりあい、個人的には一番好きな作風の時期であった。
一見けだるげ、であるがどこか鋭い視線。
全体の構図も、絶妙で、奇妙。
肩が不自然に傾いている。
なぜかこの女性には、片目がない。開いている方の片目を強調しているのだろうか。
後ろの手すりが少し傾いている。敢えて遠近感を持たせているのか。
見るものを誘うように、手の指が不自然に中を仰いでいる。
色々な場所に精神のちょっとした不安と揺らぎ、その狭間の美への探求が垣間見える。
個人的には大好きな作品。
●後期、晩年(戦後)、その抽象度はさらに増し、シンボリックな女性像が反復生産されていく。
中期には強い存在感をもって描かれていた瞳が描かれなくなったことが、特徴の一つである。
また、そのシチュエーション、題材も、実際には存在しないであろう場におけるものとなっている。
(砂漠での男女の絡みを描いた「干拓地」、フライヤーの一面にもなっている「望郷」など)
これらは、様々なシチュエーションでの人間の感情の一幕である。
それらを通じて、「女性」というものをいろいろな角度から描こうとしているのだろうか。